介護で感じた笑顔と別れ

出会いと別れ

私が介護の仕事をしていたのは今から10年近く前の話になります。

そもそも私が介護の仕事を選んだ理由は、私自身視力に障害があり、物心ついた頃から親や親戚、周囲の人達にいつも手を借り、助けられて生活してきました。その恩返しと、障害や高齢で不自由な思いをされてる方の気持ちに寄り添った介助や介護が自分にはできるのではないかと思ったからでした。

当初は障害児施設の介護員を志望していましたがなかなか求人がなく、高齢者介護の小規模なグループホームで働く事になりました。

そこは個人病院が経営する一戸建てを施設にしたとても小規模な認知症高齢者のグループホームでした。利用者さんは5名で、寝たきりの方から介助すると身の回りの事は自分で出来る方まで介護度も様々でした。

職員は利用者さんと同じか少し多い人数で早朝出勤、日勤、夜勤と掃除のお兄さん以外は全員女性でギリギリの人数でシフトを回していました。仕事内容は掃除、洗濯、食事の準備など家事全般とトイレ、お風呂、食事の介助などなど様々です。

初めの一ヶ月は先輩につきっきりで教えてもらいその後独り立ちしてシフトになります。私に仕事を教えてくれた先輩は、いわゆるお局的な存在の古株で年齢は私の親より年上の方でした。とても優しく丁寧に仕事を教えてもらい、 私は先輩をとても尊敬していました。

しかし一ヶ月が過ぎ、独り立ちした頃から先輩の私に対する態度が変わり始めました。私が夜勤の時に先輩が朝出の事が多く、朝先輩が出勤すると施設内を一通り見て回り、私の仕事を全て姑のようにダメ出しして回ります。タオルのたたみ方やベッドのシーツのシワ、物の置く場所や挙げ句の果てには靴の並べ方までちくいちチェックして回り全て注意されます。

確かに私にもいたらない所は沢山あったと思いますがやり方は人それぞれ違うと思いますし、どれも介護に直接関係のない事でばかり注意され、ただでさえ夜勤明けでへとへとなのに毎回どっと疲れました。

そんな毎日が3ヶ月ほど続き、初めは私の事を思って愛情のある注意だと思っていましたが、だんだんとそうは思えなくなり退職しました。その時私はとても悔しかったです。先輩との関係は上手くいきませんでしたが、利用者さんとの関わりはとても楽しかったからです。

障害のある私でも誰かの役に立って「ありがとう」と言ってもらえる喜びを日々実感でき、孫のように可愛がってくれる利用者さんとの関わりが本当に好きでした。

諦めきれずにまた同じく認知症高齢者のグループホームで介護の仕事に就きました。こちらは2階に分かれており、各階に利用者さんが9名ずつ生活されていました。

ここの施設は行事やイベントなどに力を入れていて、夏祭りを開催したり、花見に外出したりととてもアクティブでした。ここでは日中だけのパートタイムで働いていたので、前の職場のような家事と介護に追われる事もなく、利用者さんとの会話や関わりが十分に出来るのでとても充実していました。

しかし私が働いていた2年の間に亡くなられた方が3人おられ、初めて息をひきとる瞬間に立ち会った時は言葉が出ませんでした。

昨日まで元気に過ごしていた方が突然亡くなられる現実。人の死というものに慣れるのも嫌ですがなかなか受け入れられず何度帰りのバスで泣いたか分かりません。

本当に寂しいです。

しかし私は思いました。

利用者さんは80年、90年と長い人生を歩んで来られて私たち介護員はその最後の時を一緒に過ごす事ができる。それなら少しでも穏やかにゆったりと過ごしてもらいたい。そのために私たち介護員はいるんだと思いました。

しかし障害があり見落としや気づいてあげられない事も多い私には介護という仕事はどうしても務まりませんでした。

とても好きな仕事でしたが向いてはいなかったんですね。

それでも利用者さん達と過ごしたあの時間は私の宝物です。

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