初めての介護。怒鳴るお年寄りとの信頼関係

初めての介護職

私は4年程、特別養護老人ホームで働いていました。

従来型と呼ばれる、いわゆる流れ作業を行う施設と違い、ユニット型と呼ばれるお年寄りひとりひとりの生活に寄り添った介護を行うということを大切にしている施設でした。

学生の頃の実施研修で施設長さんに「うちで働かないか」と声をかけて頂いたことがきっかけです。

私は正直、介護という仕事には興味がありませんでした。

もちろんお年寄りは嫌いではありませんでしたし、たまにテレビなどで可愛くほほ笑むお年寄りを見ると「可愛いおばあちゃんだな」とか、道端で重たそうな荷物を持っていると声をかけてお手伝いをしようかな?といった気持は生まれましたが、それを仕事にするとなると、またそれは別物だと考えていました。

毎日毎日、3Kと呼ばれる汚いと思われる仕事をこなし、世間のイメージは介護についた人間はあまり学歴が無かったり、出来ることが少ない人がする仕事だというイメージがあり、実際に私も学生の頃は「介護だけはしたくない」と感じていた一人です。

それに先がそう長くは無い人達と過ごす毎日はどんなに寂しくて切ないものだろうと思っていました。

そんな私が介護の道に進むきっかけになったのは、幼い頃から私を育ててくれた大好きな祖父に原発不明の癌が見つかったことでした。

今から少しでも介護力をつけて祖父を助けたいと思ったのと、就職をする際も自分が祖父をもしも施設に預けなければならないときが来たらどんな所が良いかと思いながら考えて選びました。

そこで出会ったのが、ユニットケアです。

まず私が驚いたのはオムツを誰ひとりとして使用していなかったことです。

全員が布のパンツにパットと呼ばれる女性の生理用品の様なものをあてるだけなのです。

もちろんそれが出来るのは、その人の生活リズムを把握しているからです。

食事もお風呂もできる限りその人の希望に添えるケアの計画と実施に、私はとても驚いたことを覚えています。

一人の職員が二人いっきに食事介助といった、ありふれた光景はそこにはなくて、ゆっくり噛んでもらい飲みこんでもらうその過程を一つひとつ見逃さずに見つめて、その人の出来ることを見つけて情報を共有して実施していく。

そんな繰り返しの毎日の中で、介護って出来なくなっていくことを助けるだけの仕事じゃないんだと感じました。

出来なくなってしまったことを少しでも回復させ、その人らしく最後まで生き生きと過ごせるようにお手伝いをする。そんなケアを私は現場で習い続けました。

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初めて担当になった怒鳴るおじいさん

今でも鮮明に覚えているおじいさんがいます。私が初めて担当になったおじいさんです。

「気難しい人で、部屋に籠りきりだから情報の収集からしてほしい」というのが私の初めての仕事でした。

昔はとても社交的だったという情報があるものの、脳の病気にかかってしまい、入院をしたことをきっかけに人に関わらなくなったとのことでした。

「笑顔があれば大丈夫」と自前の元気さで明るく話しかけても「出ていけ!」と怒鳴られる日々で、何をしたら喜んでもらえるか必死の毎日でした。

排泄時も手伝おうとしたら「お前なんかに何で下の世話されなあかんねん。ふざけんな。ばかにしやがって」と叫ばれ、そのときは悲しいのと怖いのとで涙を流しました。

それと同時にどこかすごく腹がたっている自分がいて、「どうしてここまで腰を低くしてるのに、何も受け入れてくれないんだろう」と言った不満が溜まっていく毎日でした。

声をかけても怒鳴られる。近づいても怒られる。情報はあって無い様なもの。

そこで、私は関わりを変えてみました。

毎日決まった時間に同じ空間で過ごすということを心がけてみました。

また、自分でしようとしていることには手を出そうとせずに、トイレなどは羞恥心に配慮して退室したり(失敗した片づけは後でこっそりと行う)、お昼御飯になったら職員用の休憩室ではなく、その人の隣で「一緒に食べても良いか」を確認してただ黙って食べる、といった具合に過ごしてみたのです。

ただ何も話さずそばに居ることは、本当に苦痛でしたし、私自身介護のプロとして失格だと感じていました。

しかし1ヶ月もした頃におじいさんから「お前名前なんてゆうんや。覚えはせんけどな」と話しかけてきたのです。

驚いて、ついすぐにフルネームで答えそうになりましたが、ゆっくりと静かに「あっちゃんと皆から呼ばれています」と答えてみました。

そこから何気ない小さな会話を積み重ねていき、以前までは私が退室していた場面でも「ええよ。ちょっと手伝ってもらおうかな」と手伝いを自分から頼んで下さるといった様子になり、半年後には外への散歩に誘うと「車椅子押してくれるなら行くわ」とまで言っていただけました。

介護者としての丁寧な対応も大切ですが、どこか私は自分の祖父とそのおじいさんを重ねて接していくようになっていました。

嬉しかったこと、お天気で洗濯物が気持ちよかったこと、男性からモテナイことなど冗談も交えつつ話していると、すごく居心地がよくて、その人の笑顔が見れた日には心から幸せを感じたことを覚えています。

「あっちゃん。あっちゃんは俺がどんだけ怒鳴ってもそばにおってくれたな~。俺手術してから言葉がおかしいからな、皆何回も聞き直してきよんねん。それも嫌やしな、毎日あほみたいに天気ばっかり報告してきよるしな、触るなゆうても、自分で出来ることもさせてくれへんやつおるやろ?俺ほんま嫌やってん。だからありがとうな」

と言われたときは、嬉しくて涙が出ました。

直接的な関わりだけが介護じゃなくて、間接的な関わりも、その人の空気になることも、大切な介護なんだなと温かい気持ちが胸に広がりました。

2年後、その方は再度脳の病気で亡くなられましたが、その頃には居室から出てきて他の利用者様や職員とも話をするようになっていた為、沢山の方が最後の挨拶にその方の居室を訪れてくださいました。

よく、「お年寄りは子どもと違って死にゆく命やから希望ない仕事よね。大変よね」と何気なく声をかけられることがあるけれど、汚い仕事だと思われることが多いけど、私は今、介護ほど心が温かくなる仕事は無いのではないかと感じています。

先が長くない命であるならなおさら、「家族に捨てられて施設に入れられた」と心を閉ざしてしまうお年寄りがいたり、認知症になってしまい家族のことも忘れてしまわれる方もいますが、そんな方にも寄り添って、そのひとを理解したいと思う心をもって接することで、そのひとがそのひとらしく最後まで生きることが出来るお手伝いをさせて頂ける仕事として、私は介護で働けて本当に良かったと感じています。

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