専門学校を卒業してすぐ、特別養護老人ホームで念願の介護職に就きました。
最初の一年は仕事を覚えたり人間関係を構築したりすることで手一杯でしたが、二年目になると心身ともに慣れてきて、仕事にも余裕を持って取り組むことができるようになりました。
当時、私の仕事ぶりを買ってくれた上司がおりまして、徐々に責任ある立場を経験させてくれるようになったのです。
その日の現場リーダーからはじまりフロアリーダーを経て、介護職全体のリーダーになるまでにそれほど時間はかかりませんでした。
とんとん拍子に格上げされたとはいえ、当時私は二十代前半です。
しかも介護経験だって三年ほどしかありません。
仕事の力量が伴っていないばかりか、人を使う技術だって持ってはいませんでした。
そんな私がリーダーになるわけですから、周りの理解が得られるわけもないのです。
ベテラン介護士たちはあからさまに私をいびりだし、最初こそ応援してくれていた同年代の介護士たちからも不満があがるようになりました。
それでも私は上司の期待に応えようと必死でした。
誰よりも長い時間働き、誰かが休めば自分で穴埋めし、職場が潤滑に廻るように勤めました。
事務仕事も増え、クレームを引き受けては解決し、それでもいじめはなくならず孤立は深まるばかり。
そのうち私のことを認めてくれていた上司も「どうしてもっとうまくみんなをまとめられないのか」と私を責めるようになりました。
その段階で「自分には無理です」とどうして言わなかったのか。
その事を今でも後悔しています。
私の身体に異変がおこりはじめたのは、そんな日々が半年近く続いた頃でしょうか。
布団に入っても眠る事ができなくなり、頭の中は常に漠然とした不安が渦巻いていました。
寝不足の身体は思うように動かず、それでも職場に行けば身体は動き出すのでそこに無理がかかっていたのか、職場を一歩出るとまったく頭が動かなくなりました。
一瞬、帰り道すらわからなくなる、そんな状態でした。
なんとか家に帰りつき、何か食べなくちゃ、寝なくちゃと思うのですか、気がつくとそのまま2時間3時間と時間が経過していきました。
心の病気のこともそれなりに知識がありましたので、自分が危ないことにも気がついていました。
そしてある日、とうとう職場で異変が現れてしまいました。
突然泣き出してしまったのです。
日勤を締めくくる申し送りの時でした。
何かきっかけがあったわけではないのに、な突然涙が出てきてとまらなくなりました。
スタッフ全員が唖然とするなか号泣を止められなくなった私は、上司の進めもあり施設の系列病院の精神科を受診することになりました。
するとすぐに「うつ病」との診断結果が。
結局そのまま休職することになりました。
職場を、もっと言えば介護職を辞めることも考えました。
あまりにも辛い経験の連続でしたから、仕事のことは一切考えたくない、というのが本音でしたし、もう二度とあの職場にだけは戻りたくないと思っていました。
投薬治療がはじまり、私は実家に戻ることになりました。
心配した母がほとんど無理やり連れて帰ってくれたような状態です。
そこからは一日中布団の中で、ひたすら眠り続けるような日々でした。
何もする気が起きないし身体も頭も動きません。
そんな自分を責めてしまいそうになりながらも、母のサポートもあって久しぶりにゆっくりと穏やかな時間を過ごす事ができました。
休職して3ヶ月が過ぎた頃のことです。
職場の同僚から封書が届きました。
手にしただけで震えだすほどの拒絶反応がでて、とてもじゃないけれど封をあけられません。
母は読んでいたようですが、私に無理やり読むようにとは言いませんでした。
そのまま一年近く経過し、病気も落ち着いてきていましたが、そろそろマンションを引き払って本格的に実家に戻ろうと思っていました。ですが母がその前に読んでごらん、と同僚からの手紙を渡してくれたのです。
中には介護職スタッフ一同からの寄せ書きが入っていました。
私のことを心配し、申し訳なく思っていると、みんなが書いてくれていました。
また、私は知らなかったのですが、同僚たちから何度も実家に電話があったようです。
母の話では、みんな私が戻ってくるのをずっと待っていてくれているとのことでした。
どうせ戻ったって…という気持ちがなかったわけではありません。
またしんどくなって病気がひどくなるのも怖かったです。
でも、母が言ってくれたんです。
「しんどくなったら病気になるほど頑張る前に、また戻ってくればいいじゃない。若いんだからもう一度チャレンジしておいで」と背中を押してくれたのです。
それから職場復帰するまでにはさらに半年ほどかかりました。
復帰した当初は、まだ薬も飲んでいました。
しんどくなりそうな時は同僚たちがフォローしてくれ、休み休み働かせてもらえたのでありがたかったです。
介護職はチームプレイだとつくづく実感します。
しんどい仕事だからこそ、共に働く人たちとどれだけ助け合えるかが大切になってくるのではないでしょうか。